目的と概要


研究目的

 本研究グループの目的は、『ホルモン』をキーワードに哺乳類の性と生殖のメカニズムを明らかにし、それを現場へとフィードバックすることです。畜産学の基礎として、農業家畜の効率的な繁殖の実現と、野生害獣の個体数削減を目標に、哺乳類の繁殖生理学に取り組んでいます。

乳肉牛の受胎率低下

 乳肉牛の生産現場では、受胎率の低下が大きな問題になっています。受胎率の低下は乳や肉の生産性を低下させることで、酪農経営を圧迫する要因となります。乳牛は子牛を分娩して初めて乳を出すことができます。乳の生産量は分娩後1-2ヶ月程度でピークを迎え、その後は減少していくため、乳牛を適切な間隔で分娩させることが酪農家にとって最大の課題となります。 畜産現場では、卵胞嚢腫や卵巣静止といった卵巣疾患によって卵胞発育や排卵に異常が生じることが受胎率低下の原因として問題となっています。

野生動物による農作物被害

 近年、シカ、イノシシ、サルなどの野生哺乳類による農林業被害が深刻化しています。一般的には電気柵や駆除などの対策がとられていますが、農作物への被害額は年間120億円以上と高止まりしています。さらに獣害は、営農意欲の減退、交通事故などの人身被害、衛生害虫や感染症の媒介・拡散、下層植生の食害による森林生態系の破壊など、数字に表れる以上に重大な影響を及ぼしています。一方、狩猟従事者の高齢化に伴い、狩猟人口は著しく減少しており、先の見えない状況です。簡便で効率的な個体数管理の手法として、薬剤を用いた繁殖抑制法の開発が求められています。


研究内容詳細


  1. 繁殖を支配する脳内メカニズムの核心に迫る
  2. 繁殖を支配する脳内メカニズムを応用する
  3. 哺乳類の排卵数を支配的に決定する新たなメカニズムの解明
  4. 乳牛の子宮内膜炎における卵巣機能障害の解明
  5. 牛ミュラー管融合不全(先天性生殖器奇形)の原因遺伝子の特定
  6. 雌ウシの繁殖機能を刺激する雄ウシ由来フェロモンの探索
  7. 受胎性の高いウシ体外受精卵作出技術の開発

繁殖を支配する脳内メカニズムの核心に迫る

 動物はさまざまな条件下で繁殖活動を行い、種を維持しています。自然条件下における動物は、たとえば光周期や餌の有無などの外的環境因子をシグナルとしてとらえ、生殖機能をコントロールしています。このようなメカニズムはすべて脳の中にあります。卵巣や精巣の働きを直接コントロールするホルモンの生産や分泌も脳の制御の元にあります。家畜といえども脳の働きを理解しなければその繁殖をコントロールすることはできません。
 哺乳類の繁殖を制御する視床下部−下垂体−性線軸の頂点に立つ「キスペプチンニューロン」の調節メカニズムの解明を中心に、以下のアプローチで研究を行っています。

視床下部−下垂体−性線軸とキスペプチンニューロン

 性腺(卵巣と精巣)における卵胞発育と精子形成は、下垂体が分泌する性腺刺激ホルモン(LHとFSH)により促進されます。LHとFSHは血中にパルス状に分泌され、これを誘起するのが性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)パルスです。視床下部のGnRHニューロンからGnRHがパルス状に分泌されるメカニズムは長らく不明でしたが、近年、視床下部弓状核に存在する「KNDyニューロン」がGnRHパルスの発生中枢であることが示唆されています。KNDyニューロンはキスペプチン(kisspeptin)、ニューロキニンB(NKB)、ダイノルフィンA(Dyn)の3種類の神経ペプチドを分泌するニューロンで、キスペプチンはGnRHニューロンに作用してGnRH分泌を引き起こす作用、NKBはKNDyニューロン自身に作用してGnRHパルスを促進する作用、DynはGnRHパルスを抑制する作用があることが明らかになってきました。GnRHおよびLH/FSHパルスは卵巣由来のエストロジェンの作用により抑制されますが、KNDyニューロンはエストロジェン受容体を持ち、このエストロジェンの負のフィードバック作用の直接のターゲットであることが示唆されています。KNDyニューロンは雄にも存在し、精巣由来アンドロジェンの負のフィードバック作用を受けて視床下部―下垂体―性腺軸を統御していると考えられています。
 一方、雌に特有の生理機構として「排卵」があります。十分に成熟した卵胞中の卵母細胞は排卵によって卵巣外に放出され、卵管をへて子宮に到達し、妊娠が可能となります。排卵を誘起するのはLHのサージ状(大量の一過性)分泌であり、LHサージはGnRHサージによって誘起されます。これまでの研究から、GnRHサージの発生はKNDyニューロンより前方(視床下部 視索前野、前腹側室周囲核 等)に存在するキスペプチンニューロンに支配されていると考えられています。GnRH/LHサージは卵巣で排卵直前まで成熟した卵胞由来の高濃度エストロジェンの作用により誘起されますが、視索前野/前腹側室周囲核キスペプチンニューロンはエストロジェン受容体を持ち、このエストロジェンの正のフィードバック作用の直接のターゲットとなることが示唆されています。

GnRHパルスおよびサージ発生メカニズムの解明

 キスペプチンニューロンは卵巣由来のエストロジェンを直接受容して、フィードバック作用をGnRHニューロンに伝達していると考えられています。低濃度のエストロジェンはKNDyニューロンに作用してGnRHパルスと続くLH/FSHパルスを抑制する一方、高濃度のエストロジェンは視索前野/前腹側室周囲核キスペプチンニューロンに作用してGnRH/LHサージを誘起するとされていますが、エストロジェンがパルスとサージを制御するメカニズムの詳細は解明されていません。
 私たちは、ウシと同じ反芻動物であるヤギやラットを実験モデルに用いて、GnRHパルスおよびGnRHサージの発生メカニズムを解析しています。また、細胞レベルで反芻動物の生殖中枢制御メカニズムを解明するためには細胞株樹立が不可欠であると考え、世界初の家畜由来視床下部ニューロン細胞株「ヤギKNDyニューロン細胞株」「ヤギ視索前野キスペプチンニューロン細胞株」「ヤギGnRHニューロン細胞株」の樹立に成功しました。これらの細胞株を用いて、反芻家畜におけるキスペプチンニューロン制御因子の探索やキスペプチンニューロンによるGnRHパルスおよびサージ発生制御機構の解析を進めています。
*この研究は、科研費 基盤研究(B)「視床下部–下垂体を制御する新たな卵巣由来フィードバック因子の同定」(2021-2024年度、研究代表者:松田二子)の支援を受けて実施しています。

繁殖中枢を制御する脳内エネルギーセンシングメカニズムの解明

 精子や卵胞の成長をはじめ、正常な生殖機能の維持には栄養状態が深く関わっています。例えば、何も食べない状態が続けば、精子や卵胞の成長を促す物質である性腺刺激ホルモンの分泌が止まります。こうしたエネルギー不足による生殖機能の抑制は、多様な生物にみられる現象であると同時に、畜産分野においては「乳牛の受胎率低下」という大きな問題の一因となっています。したがって、私たちは乳牛の受胎率改善につながる知見を得るため、エネルギー不足を感知して生殖機能を抑制する脳内メカニズムを明らかにしようとしています。現在は、脳にある上衣細胞に着目し、この細胞が低栄養状態を認識し、生殖機能を司る神経細胞の働きを制御しているという仮説のもと実験をおこなっています。

繁殖を支配する脳内メカニズムを応用する

 上記で得られた基礎的知見をもとに、家畜、野生動物、動物園動物等の繁殖制御技術の開発を目指しています。

家畜における繁殖促進剤の開発

 家畜の生産性を向上するためには、繁殖効率を上げることが必須です。しかし、ウシの受胎率は低下の一途を辿り、畜産上の最も重要な問題となっています。私たちは基礎的研究によって明らかにした繁殖を支配する脳内メカニズムをウシ、ヤギ、ブタなどの家畜の繁殖刺激に応用し、これまでにないメカニズムで作用する新たな繁殖促進剤を開発することを目指しています。

野生動物(シカ、サル)および動物園動物(モルモット、イルカ、アシカ)の個体数管理

 家畜とは反対に、野生動物や動物園動物では過剰な繁殖や性ホルモンが誘起する攻撃行動が問題となっています。私たちはNKB-NK3R/Dyn-KORシグナリングがKNDyニューロンの活動を制御するメカニズムや、ゴナドトロフなど特定の細胞を攻撃するターゲットトキシンに着目し、性ホルモン分泌や性行動の発現を抑制する手法について研究しています。オスとメスの両方に有効な繁殖抑制剤(避妊薬)の開発を目指し、実際にマウス、ラット、シカ、サル、モルモット、イルカ、アシカなど多様な動物種を用いて解析を進めています。

哺乳類の排卵数を支配的に決定する新たなメカニズムの解明

 哺乳類では性周期ごとに多数の卵胞が発育を開始しますが、排卵に至る卵胞はごく一握りであり、その他の卵胞は発育途中で死滅します。排卵まで至る卵胞数=排卵数はウシ、ウマ、ヒト、サルで1個、ヤギやヒツジでは1〜3個、ブタでは10個程度と、動物種によって決まっていますが、その調節メカニズムには不明な点が多く残されています。私たちはウシの卵巣の解析や遺伝子改変マウスの作出と表現型解析を行うことにより、排卵数を支配的に決定する新たな因子の探索を進めています。

乳牛の子宮内膜炎における卵巣機能障害の解明

 子宮への細菌感染によって引き起こされる子宮内膜炎は,分娩後の乳牛における繁殖障害の主要な要因の一つとなっていますが、そのメカニズムについては不明な点が多くあります。私たちは、子宮に感染した細菌が放出する内毒素が卵巣の機能に及ぼす影響を明らかにするため、分娩後の乳牛を用いた臨床研究を行うとともに、体外培養システムを用いて卵胞発育および卵子の成熟機構への作用を解析しています。
*この研究は、科研費 基盤研究(B)「細菌毒素キャリーオーバー効果の解明によるウシ繁殖性向上へのアプローチ」(2022-2025年度、研究代表者:真方文絵)の支援を受けて実施しています。

牛ミュラー管融合不全(先天性生殖器奇形)の原因遺伝子の特定

 私たちの最近の調査研究により,先天性の生殖器奇形であるミュラー管融合不全が乳用牛の受胎率を半分以下にまで低下させることを明らかにしました。そこで,ミュラー管融合不全の原因遺伝子の特定を目指した研究を行っています。原因遺伝子を明らかにできれば,遺伝子型検査による保因牛の鑑別技術を開発することが可能となり,原因遺伝子を保因する種雄牛の精液や雌個体を排除して,受胎率向上に寄与することが期待されます。
*この研究は、日本中央競馬会畜産振興事業「令和3-4年度 生殖器奇形原因遺伝子保因牛の鑑別と淘汰技術開発事業」の支援を受けて実施しています。最新の成果はこちら

雌ウシの繁殖機能を刺激する雄ウシ由来フェロモンの探索


 ウシと近縁の反芻家畜であるヤギやヒツジでは,「雄効果 Male Effect」というフェロモンにより卵巣機能が強力に刺激されることが科学的に立証されています。雌ウシにおいても同様のフェロモンを発見できれば,ウシの繁殖効率を向上させる技術につながると期待できることから,雌ウシの卵巣機能を刺激する雄効果フェロモンの単離精製と構造決定を目指した研究を行っています。この研究は,東京大学獣医動物行動学研究室(武内ゆかり教授)との共同研究で実施しています。

受胎性の高いウシ体外受精卵作出技術の開発

 畜産物の安定的な生産を支えるために、ウシの卵子を体外に取り出して受精させ、発育した受精卵を子宮内に移植することで妊娠を成立させる「体外受精卵移植」が広く行われています。体外受精卵移植の成功率を向上させるために、暑熱や低栄養などのストレスに負けない体外受精卵作出技術の開発を行なっています。また、タイムラプスシネマトグラフィーにより受精卵の発育を継続的に解析し、受胎する可能性の高い受精卵を非侵襲的に選抜する指標の探索を行なっています。


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所在〒113-8657 東京都文京区弥生1-1-1 東京大学農学部3号館1階131号室 獣医繁殖育種学教室電車からのアクセス・南北線     東大前駅から...

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メンバー

教授  猪熊 壽 (産業動物臨床学研究グループ)所属学会:日本獣医学会、日本産業動物獣医学会、牛臨床寄生虫研究会、家畜感染症学会、日本家畜臨床学会、大動物臨床研究...

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Member

Professor: Hisashi INOKUMA, DVM, PhD(Farm Animal Medicine research team)Professio...

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研究業績

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